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長岡市長を目指す高橋ひろゆきが所属する長岡★未来への架け橋の会のロゴ
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長岡市長を目指す高橋ひろゆきの年齢55才
長岡市長を目指す高橋ひろゆきの名前

3の柱 子どもへの未来投資

長岡市長を目指す高橋ひろゆきが掲げる第3の柱

■小学生への投資

人としての生き方論理的考察力を磨く

■中学生への投資

プレゼンテーション能力とディベート能力を磨く、課外活動

■高校・大学生への投資

奨学金の無利子給付、地域交流

NEWS
長岡市長を目指す高橋ひろゆきの背景に使用している真っ赤なグラフィック

子供は宝

育児や教育は未来への付加価値に繋がります。長岡市の令和6年度の教育費予算額は102億1,590万円です。これは長岡市のGDPのおおよそ1%です。長岡市の教育費予算をGDPの1.5%に拡大すると共に、GDPの拡大と共に教育費予算を増額していきます。 子どもの教育で何より必要なことは、家族だけでなく、周りも一緒になって育てていくことだと思います、コミュニティで子ども達に豊富な体験をさせていくことが重要です。そのためには、市民一人一人が、それぞれの出来る範囲で、地域の子供たちのために与えていくことです。長岡市は、子供たちの未来へ投資し、将来の日本の柱となり、世界に挑戦する寛容で風格のある人材を輩出するまちを目指します。

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人としての生き方、論理的な思考

子どもは暮らしの中で生きる力を体で覚えていきます。長い人生でたくさんの岐路に立つ機会がありますが、どのように生きていくか自覚を持った人はいかなる場面でも強く進んでいくことができるでしょう。 現在において、細かい暗記はそれほど必要ではなく、初等教育においては、むしろ論理的な考え方や、人間の生き方を学ぶ機会を増やすことが大切です。その点、論語や算盤は非常に高度な思考技術を授けます。 それからもう1つ、古典文学を吸収力のあるうちに取り入れるべきです。日本の情緒、言葉のあらまし、美的感覚など、あらゆる日本の精神性は古典文学に詰まっています。子どもの頃からそういったものに親しめば、日本人としての豊かな精神性、情操が育まれていくと考えます。 英語やプログラミングのスキルがあっても、それはどこの国でも誰でもできるわけです。日本の柱となり、世界に挑戦し、古きものと新しきものを取り入れることのできる人材、これには表面的な語学やパソコンの授業では育ちません。日本が世界でリーダーシップを取れる人材を排出するためには、表面だけじゃなくて人間的な教育が必要です。 何かを学んだ時に、人間的な心の深みが増すことが、勉強をする上で最も重要なことだと思います。海外で出会う優秀な方々は皆自分の国を愛し、何が素晴らしいか説明できますから、表面的な勉強だけではなく、自分が愛するものを人に伝えることができる学びをしていかなければなりません。それができる人が海外において、多くの友人に恵まれ、信頼と尊敬の中で素晴らしい仕事ができると信じています。 世界から評価されるような人材を育てるためにも、時間単位にこだわらず課外学習としてでも提供していくことが必要でしょう。幕末、開国を迫られた時に、片言の英語で幕府の士たちがアメリカと交渉したわけですが、「日本人は風格がある」と思った当時の外国人は多かったと思います。 幕末の頃の日本人は自国に対する思いが強かった、列強国に呑まれてなるものか、と必死で交渉していたのでしょう。決して流暢とはいえない英語力であっても、日本を守るという気概が大国に領土化されなかった一因でもあると思います。 風格のある人と出会えば、その人が暮らすまちも同様に素晴らしいと思ってもらえるでしょう。受け継がれてきた長岡の知恵と精神性を、絶やすことなく未来に繋げていく、刻一刻と変化を遂げる世の中で、何よりも強い力となると信じています。 長岡市では、課外事業等において、、教員資格等のしくみの枠を拡大し、子供たちの論理的思考(算数)、人としての生き方(論語等)、日本人としての情操(古典等)を教育するまちとなります。また、各地で導入がみられる宿題、定期試験、通知表の無い学校も、各学校の校長先生と協力して導入を試行していきます。 子どもへの投資は何にも勝ります。長岡はひとり親家庭も多いので、そのサポートもより充実していかなければならないと思います。現在、長岡市ではひとり親家庭等の医療費助成(所得制限あり、子どもは、18歳到達後最初の3月31日までの人を対象)、養育費確保支援(経費の合計額の1/2、最大2万5千円)などありますが、児童福祉手当の増額を行っていくべきと考えます。 学校給食について、地産地消で、添加物や農薬を使用しない食事の提供を行っていきます。 中高等教育においては、ディベート能力、プレゼンテーション能力の強化が重要と考えます。周囲を説得し、様々なプロジェクトを主体的に推し進めていくような人材の育成が必要です。自分で正しい方向性が判断でき、実行のための具体的なすくジュールを組み、周囲を説得して進めていけば、人生において様々な目標は達成できます。

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幼児教育

子どもが幼い間は、親御さんの相談に乗りながら子育てを地域がサポートしていく。ここまでは現在の長岡市でも十分な支援をする土台はできていると思います。一方で、児童手当については、少子化に歯止めがかけられる実のある施策に練り直す必要があります。 「てくてく」をはじめとした子育て支援施設では、屋内の遊び場があり、雪が降っても遊べるし、親が相談しようと思ったら、保育士が子育てに関してお話をしてくださいます。私自身はそこで楽器とか運動とか英語なども学べる機会を与えたらいいのではないかと思っています。小さい頃からの体験は大人になってからもいい影響を与えます。 一方で幼い頃からの教育は「エリート教育」ではないのか、というご指摘がありますが、決して詰め込み型で子どもを閉じ込めるものではありません。遊びから学んでいくように、小さい頃から様々な体験をする機会を与えることはとても重要です。豊富な体験を経て、子どもはそれぞれの「好き」を見つけていけたらよいと思っています。 ドイツなどでは、1つのスポーツだけだと体のバランスが悪くなりますから、必ず2種目やっていると聞きます。日本でもトップで活躍してる選手は大体2種目やっていらっしゃり、運動神経がよいとどちらもプロ級に上達します。つまり、野球は野球だけと凝り固まらず、プラスアルファでゴルフをやるといった方が、体のバランスや身体能力そのものが成長するというわけです。 一種目だけでは伸び悩んでしまっていても、別のスポーツを知ることで成長する部分があります。音楽も同じで、ピアノだけではなくギターを弾ければ演奏の味わいが増し、楽しみも深まります。 語学だって小学校や中学校に入ってから拒絶反応をすることもないでしょう。小さい頃に触れる機会を与えてあげて、場合によってはその分野の第一線で活動しているプロに教えてもらう機会が1回でもあっただけでも大きな実りになると思います。

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課外活動

部活動や地域の歴史など、教員だけでなく地域の人材をフルに活かした総合教育を取り入れ、心身ともに健全な子供を育てます。 スポーツでもなんでも、上から指導されることに従うだけでは「楽しむ」という時間は限られてしまいます。 学校のクラブや部活を顧問の先生だけじゃなく、地域の方たちと連携して子どものスポーツ・文化芸術を支援していくことは、子ども時代の素晴らしい経験の機会になります。 地域の施設を利用し、そこにいろんな人が参加しても構わない、週に何時間も同じ顔ぶれできついトレーニングを続けている日々では、卒業したら燃え尽きちゃって辞めてしまうこともあると思います。国内大学生のスポーツ離れは著しく、もっと日常の中で自ら楽しんでもらうことが大切です。欧米でも、同世代とだけでなく、様々な世代と楽しむ機会を作っています。コミュニティ全体で楽しんでいます。 小学校の部活動では、学生の人数が少なくなってきていることから継続が難しくなってきている競技等もあるようですが、出来るだけ学校単位で行うのが良いと考えます。低中高学年が混ざり合って、一緒に競技することで、高学年の生徒は低学年の生徒を労り支援し、皆で助け合う経験が出来、将来、様々な逆境をたくましく超えていく上では重要な経験となります。様々なレベルの生徒が集まることから、指導面における地域のコミュニティの支援も欠かせないものと考えます。 継続の難しい競技や芸術文化等については、広域での合同はやむを得ず、その場合には地域の比較的施設の集中したエリアに各学校から子供たちを送迎する手段が必要となります。市がコミュニティーバス等でそれを支援すべきと考えます。 中学校の部活動は、地域連携や地域クラブ活動への移行が決まっています。学生が部活動をする目的は多岐にわたっており、選択肢は幅広くあるべきと考えます。部活動は友情や協力を育む場でもあり、自己成長にもつながります。地域の高校や大学でスポーツ・文化芸術活動を専門で指導をされている方々からも指導を受けられるしくみを作れたらと考えます。

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10年後、15年後の国際競争力の源

各国において、政治、経済、さまざまな分野において中心となり、競争力の明暗を分けているのは、30代前半の世代です。10年後、15年後に30代前半となるのは、今の大学生、高校生です。この世代を強化、この世代に投資することは、10年後、15年後のより厳しくなる国際競争の中で、各国、各まちが勝ち残るための鍵となります。家庭経済の差によって教育格差が生じないことが第一であり、無利子の奨学金制度の創設、複数年市内の企業で勤務する場合の奨学金の免除、更に海外でのインターンシップ、その他の外との交流の機会の提供を行っていきます。 長岡市には大学が4つあり、長岡技術科学大学(技大)という時代の最先端技術の開発研究を行っている大学、長岡造形大学学という芸術系デザインの大学、長岡大学という社会科学系の大学、長岡崇徳大学という看護系の大学です。在籍する大学生は合計で3,000人近く、その他大学院生も1,000人近くいます。また留学生は200人を超えています。 大学には、研究機関としての役割、人材育成の役割、地域貢献の役割があると認識しており、こうした学生の方々から、長岡のまち並み・産業・社会制度・地域発展のしくみ作りを研究して頂き、またインターンシップやイベント企画等地域との交流・連携して頂き、更には国際的なイベントにおいて世界をみてきて頂く、こうしたことに長岡市も協力していけたらと考えています。 また、可能な限り学生には、スキー授業、臨海授業、林間合宿等の課外授業を体験してもらうことで自然と向き合い、自然との触れ合いを体験してもらいたいと考えます。また長岡市にある国営越後丘陵公園や佐渡弥彦米山国定公園、そんな魅力ある公園を楽しみながら生活して頂き、そんな自然環境に恵まれた長岡への定着や、将来のUターンに繋げてゆきたいと考えます。全国か多くの学生が入学されますが、そういった方達も卒業後に外の世界へ羽ばたいて、何年かしたらまた長岡に戻ってきて新しい風を吹き込んでくれる、そうしたまちにしたいと思います。 長岡では、子供たちが成長して高校大学を卒業した後、卒業後の就職先が長岡には乏しいといわれており、市外へ皆さん出てしまう、これまで親子2人で暮らしていた世帯の親御さんの心配はひとしおだと思います。ただ、頑張って市外で働いているお子さんを応援し、たとえ挑戦してうまくいかなくて長岡に戻ってきても大丈夫だよ、と迎えられる街にしたい。全ての子供に可能性があります。家族だけでなく隣近所、街全体で応援できる体制があることが望ましいと考えます。。 我々の子供たちが世界に飛び出し、様々な分野で将来活躍できるようにしたい。目標をもって努力すれば、何等かのかたちで報われる、子供たちにはそうした社会のしくみが提供できたらと考えています。

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消えゆく精神性の復活

長岡には、文化・伝統・教育については古くから変わらない誇るべきものがあり、さらに産業が発展する場所としては好条件を宿しています。 長岡市は工業地区がありつつも、暮らしと伝統が根付いた土地です。伝統的文化の教育に力を注ぎ、暮らしの中に古き良き伝統が受け継がれてきています。 長岡で受け継がれた精神性は、世界がどのように変化しても、柔軟に立ち向かえる強さがあります。特に今の時代、判断力や決断力が問われますから、いつまでも受け継がれていってほしいと考えます。 河井継之助も、明治の世になってから、世界はどのように変化していくかずっと考えていました。列強国の存在をいち早く察知し、そのための策として長岡の独立を謳いましたし、軍の強化に励みました。結果として負けてしまいましたが、平和つまり今の生活を守っていくために懸命に勉強し考えていたのです。 山本五十六にしても、当時国内が好戦に沸き立っている中、流されず現実をしっかりみていました。すでに日本の勝利は絶対にないと確信し、だから初戦のパールハーバーで機先を制し、日本が有利な立場で講和できるようにしたかったのでしょう。 田中角栄は隣市の柏崎出身ですが、世界との調整を見定めていた点で長岡の気質を充分に受け継いでいます。彼は道路を作った印象が強いですが、小林虎三郎のように教育への投資にかける情熱も並々ならぬものがありました。 教師の人材不足に喘いでいた当時、「教育で大切なのは義務教育だ」といって教員の給与を公務員よりも高くして採用倍率を上げ、結果教育指導の質を上げることに繋げたのです。 当時日本はあたたかい南部は工業地帯、寒い北部は農業地帯という区分けがされていましたから、自身の選挙区に工場初め社会的資本がほとんどありませんでした。そこで教育への投資を決意したのだと考えます。 並行して南部と北部の産業構造を逆転させる「日本列島改造論」を実現させるに至りましたが、一貫して直すべきところは直す、という姿勢でした。 今、長岡にはその精神性が消えつつあるように感じます。長岡のまちは戦争で幾度か焼かれてしまった過去がありますが、そこから幾度も抵抗して立ち上がるしぶとさがありました。 戊辰戦争後、長岡藩は廃藩となり、都市機能は柏崎県に移されてしまうのですが、長岡の有志で資金を集め、慶應義塾大学塾長を務めた藤野善蔵を招き、長岡洋學校(現在の長岡高校)を設立します。 新幹線が開通する100年以上も前に、東京で活躍する国内トップの人材を呼び、教えを乞う勉学への貪欲さと、新しい時代に立ち向かう気概は並々ならぬものがあります。とにかく長岡を文明の地にしたかったのでしょう。 当時と比べると、現在はただ霞ヶ関の顔色を伺いながら波風立てぬように動いている状態であると感じます。全国どこを見渡しても同じ視点になってしまい時代の先を見る気概を感じません。 残念ながら今の日本では学校の先生方にオリジナリティが求められておらず、県内でくるくると人員を回している状態です。辞令があったから機械的に長岡市に赴任する、といった状態では素晴らしい歴史や価値観が自分の住んでいるところにあるんだよ、と伝えても、子ども達の心に果たして残るのでしょうか。 「精神性」という感覚は無くなって、長岡はその他大勢の自治体の一つとなってきてしまっているように思います。 日本は今、転換点に来ています。 歴代内閣総理大臣の出身地を見ると参考になりますが、近年は日本を牽引していきた人々は西日本出身が多かったです。その昔でしたら東北や北陸も対抗馬がいて日本全体で切磋琢磨できていましたが、九州、中国、四国地方に圧されています。 日本全国から、競い合えるような人材を提供できれば、もっと日本は元気になってくると思います。そのために長岡市は、今の生活において犠牲を払っても、未来への投資を行います。

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